性善説か性悪説か
性善説と性悪説、あなたはどちらを主張するでしょうか。
例えば、昨今の感染症に対する施策について、どのように考えるでしょうか。
それを性善説と性悪説、どちらの由来なのか考えてみるのも一興でしょう。
そうした時に、もしかすると自分の主張が正しいものであることを確認するために、共感できる主張を擁護したくなるかもしれません。
認識を広げたり、説得力のある主張をするためのアプローチとして、以下の順番で考えることが有効だと考えます。
1.自分の主張の根拠となる情報(インプット)は何なのか?と、思い出してみる 2.その根拠の手薄になっている部分を考えてみる
自分より賢い考え方をする人を目の当たりにして、自分はやはりダメな人間だ。などと考える方が身近にいらっしゃいますが、この思考パターンは性善説と性悪説、どちらからくるものでしょうか。
どうやら、性善説と性悪説のどちらが正しいか議論することよりも、性善説で考えた場合と性悪説で考えた場合で、どちらの方がうまくいくかを考えることの方が重要のようです。
自分の考えを否定されショックを受けた時こそ、チャンスかもしれません。
その時に逆の思考や行動をしてみることが、より良い人生を送るきっかけになると私は考えます。
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