山と私④

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瓶ヶ森からみた室戸岬と弘法大師

さて、前回は色々なところから見る石鎚山をご紹介しました。今回はその中でお伝えした瓶ヶ森からみた室戸岬と弘法大師を綴ってみたいと思います。

山での日の出や夕暮れの時間は格別なもの。それを体感するには山で泊まるか、暗いうちからヘッドライトをつけ出発してご来光登山をするかになる。ちなみに夕暮れは山で泊まらない場合は危険なのでやらない。

ある夏の日、瓶ヶ森でのご来光を見に行った。コロナ禍前のことである。星がまたたく頃ヘッドライトを灯し、眠る石鎚を横目にゆっくりゆっくり歩く。石鎚にもまた、ヘッドライトをつけた誰かの姿を確認することができる。慣れ親しんだ道も暗いと全く別物である。静けさにふとこの時間には人間が足を踏み入れてはならないのかもしれないという背徳感を胸にしながら高度をあげる。山頂で朝日を待つ。体が冷えないようにザックにいつも入れているカッパを羽織る。日の出前は特に風も強まり自然を感じるひととき。山頂からは街の明かりや、室戸岬の灯台まで見える。これは、同行した仲間が教えてくれたのだが、各灯台の灯りの点滅の間隔はそれぞれ定められているそうで、その秒数でそこが室戸なのだとわかるのだとか。船乗りにとっては灯台の灯りは道標なのだ。

空が白み始め、星たちはいつのまに消えている。刻々と雲は色や形を変え、夜と朝の狭間のあさぎいろを体感する。灯台の点滅ももう確認することができない。

360度のパノラマ。そんな夏の一コマ。

朝のリレーという詩を思い出す日の出の瞬間

秋になり、順番などお構いなく気が向けばふらりとゆくため全然進まないお遍路へ行くことにした。

瓶ヶ森からみた室戸へふと行ってみたくなり、車を走らす。。。遠い。

うねる波

伊尾木洞や気になっていたカレー屋さんにより、室戸ジオパークを堪能。山育ちの自分にはない感覚。どこまでも続きそうな海とうねりに圧倒される。室戸岬をぐるり東側に回ると、御厨人窟につく。こちらは若き日のお大師さまが修行して開眼したとされている場所。虚空蔵菩薩の化身である光り輝く“明星(金星)”を口から体内に迎えるという超常現象を経て厳しい修行を完遂されたそう。その逸話はハウルのカルシファーを連想するなぁ、などと少し前にえひめ村の和の集いグループ内でも話題となった^ ^お大師さんの偉業はあちこちで語り継がれている。茶や、灸を中国から日本へ医療として持ち込んだともされている空海。本当に一人の人物がなし得たことなのか。超人ぶりが色々と気になる。私は、弘法大師の「灸とは心に灯をともすものなり」という言葉が好きで灯台の灯りのように心にしまっている。

薬師如来さまから伸びる五色の布
向こうの山に
弘法大師が横になる姿があなたには見えるだろうか。

こちらは二十二番札所平等寺

結縁の綱

ご本尊の薬師如来さまの薬壺を持つ手につながる「結縁の綱」は仁王門まで伸びていて、本堂前の階段を上がれない方も御本尊とご縁を結ぶことができる╰(*´︶`*)╯♡

大師堂の中に鎮座されているお大師さまの手に持つ独鈷からも五色の綱が伸びていて、ご縁を結ぶことができる。

コロナ以降、色々なことが自主的にできなくなり、いたるところで文化という息の根が絶やされそうになるのを目にする。それはもしかしたら随分前からのことかもしれないが、最近は御名目の元にどんどん加速しているようだ。神社の手水では柄杓が使えない、鈴の綱はならせない。お祭りの日程すら変えられ、イベントの中止が余儀なくされている。感染対策をスローガンにいったいどこへ向かおうとしているのか?

そして、これらは強制されたわけではなく、自主的にみんなのためにと行われているのだ。新しい生活様式や文化も必然の流れかもしれない。だが、私たちの祖先が繋いできたものを簡単に手放すこともわたしには難しい。みんなのために、安心安全という耳触りの良い言葉だがわたしには耳障りでしかない。

前述のえひめ村和の集いグループでは、和服を着たり、抹茶や和菓子を食べたり、和の音楽会をしたり、日々感じた和についての事柄をつぶやいたりして楽しみながら和の心を育んでいる。

瓶ヶ森の夏の日から室戸岬の先の弘法大師の世界に時空の繋がりを感じた、とある秋の一日であった。

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てんたん

心は旅人。山のこと、東洋医学のことなど気ままに書いてみようと思います。