山と私

~山との出会い編~

何故、人は山へ登るのか。

それはそこに山があるから。

わたしたちの体を五感を使って経験するために。

失敗も、悲しみも、喜びも全てを。

私の山への愛を振り返りながら超インドア派だったわたしが何故山に魅せられていったのか、など紐解いてみたいと思います^^

山との出会いは幼少期。

おそらく1983年のことだったのだろうと思う。1983年。その年は石鎚山の標高1983mとの語呂合わせで石鎚に登るのが流行していたのだとか。元ワンゲルだった父に背負子に乗せられて登った石鎚が私の初登山だったのである。(自分の足ではあまり歩いていない。おんぶにだっことはこのことである。)

次に記憶に残るのは小学校5年の時の自然の家での石鎚登山。

あまり良いお天気ではなかったように思う。1泊2日の集団生活。おやつはキャラメル(-_-)1箱に入った12粒を少しづつ食べた。とにかくそのキャラメルを切らしたら終わりだと大事に食べた記憶しかない。山頂での記憶も感動もほとんどない(笑)集団行動はただただ、やらされている感がなじめなかった(-_-)

子供のころから運動神経が鈍く、運動するのは好きではなかった。

大人になってからも体力がないため山になど登ろうと思うこともなく、超インドア派だったが、山あいの小さな町で自然の中で育ったせいか、自然が多いところで遊ぶのは好きだった。

20代のころは仕事やその他諸々の人間関係に大いに悩んでいた。

そんな頃家族で石鎚に久しぶりに登ろうという話になり、しぶしぶ一緒に行くことになった。

体力がなく、アトピー体質で汗をかくとかゆくなるのでそれも嫌だった。最後の登り坂の手前で自分はここで待っているから、と言ってみたものの励まされながら無理こ矢理こ弥山へ到着した。

本当に体力がなく、すたすたと登っていく両親や姉はすごいと思ったし、自分の体力や気力のなさを痛感したのがこの時であった。自分は何者なのか?何のために生きているのか?漠然とした悩みのようなものを子どものころから抱えていた。頭でっかちで行動が伴わなかった。自分自身と喧嘩状態。そんな日々が続いき、何かやりたいけれどやりたことがわからず紋々としていた頃だったと思う。

石鎚山山頂神社前の広場に着いて広がる景色を見たときに下で待っていなくてここまで来てよかったと晴れやかな気持ちになったのを覚えている。お腹はただ単純にすいていてシンプルにおにぎりがおいしかった。

山は登ったら降りなければならない。

子供のころのように背負子には乗れない。

下山の時の方がケガの確立が上がると何かで読んだことがある。膝ががくがくしながらなんとか土小屋(石鎚登山口のひとつ)までたどり着いた。家族の話では下山したときには顔が青くなっていたとのこと。情けないことに体力の限界だったのだと思う。

☆☆☆
さて、長くなりそうなので、出会い編はこのあたりに致します。続くかもしれません!(^^)!

歩いた山や、山のあれこれ紹介できればと思っています。

現在は腰痛のためあまり山に行けていない日々です。

ギックリ腰再発防止のため裏山トレーニングに励み来年こそは石鎚へ行けるよう頑張っています。

つづきの記事: 『山と私 ②』はこちら

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てんたん

心は旅人。山のこと、東洋医学のことなど気ままに書いてみようと思います。