山と私 ②

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~山小屋の灯火~

あけまして

おめでとうございます。

本年もみなさまがより輝く年となりますようお祈りします。

お正月は今年も実家でのんびり過ごした。ちょうど緊急事態宣言が出た頃に70代の父がネット環境を整え、YouTubeをテレビで見られるようにした。その甲斐あってか不必要にTVワイドショーなどに煽られることもなく、好きなYouTube番組をみて楽しんでいる両親。お気に入りは「東京大衆歌謡楽団」の懐かしの歌を聴くこと。今になって、おうち時間が長くなってもそれなりに楽しんでいたので、本当にタイミングが良かったなぁと思う。テレビは良い番組もあるとは思うが、実際のところ、人々を扇動し、洗脳させる道具だと感じることがある。もちろんネット情報もそうではある。わたしたちの「不安感」や「恐怖」「肯定感」といった感情を上手に揺さぶってくるので、そのような気持ちに気づいたらまずは、一呼吸して「大丈夫。」と言葉にだしてみよう。テレビの中で言っていることよりも、目の前にいる人の笑顔や道端に咲く花を大事にしよう。情報とは上手に距離をとりながら、自分に必要なものを取捨選択していくことが重要だ。

話がそれてしまった(^^;

昭和初期の知らなくてもなんとなく口ずさめてしまうなんとも懐かしい歌謡曲。歌詞もほんのり優しく寂しげで、わたしも帰ると一緒に聴いている。最近聞いて良かったのは「山小屋の灯火」。原曲は知らないのだが、山をやることもあってか自分の実体験とも重なりなんとも哀愁をそそる(*´∀`)♪

こちらはえひめの山二ノ森。こちらにも堂ケ森から降りたところに綺麗な愛大小屋(無人)がある。

インドアな私だったが、あるとき誘われた登山の集いに参加した。はじめは右も左もわからず、リーダーや仲間に色々なことを教わった。

トレーニングを重ね(;・∀・)数年がたち、山の沼にどっぷり浸かったわたしは、山への憧れから夏の一ヶ月を飛騨の奥地のアルプスにある「鏡平山荘」で過ごした。そこでの体験は語り尽くせない。各地から集まった仲間との出会い。窓枠には槍、穂高。池には鏡のように美しい山が影を落とす。休暇には小屋を拠点に縦走を楽しみ、夜は仲間と語らいながら星を眺めた。ここだけの話だが、ここより上にある、笠ヶ岳に休暇で遊びに行っていてそこから台風の日にまだ大丈夫だろうとの安易な判断で戻り、小屋番さんに大目玉をいただいたこともあった。若気の至りだが、大変心配されたのだろうと思う。山は生と死が隣り合わせに感じられる場所である。わたしには経験値が足りない。たった一ヶ月のことだが凝縮された思い出。いまでも目を瞑るとお気に入りのあの場所へ帰ることができる。

ひと夏を過ごした鏡平山荘。夏はカキ氷を食べることができる。
鏡池からみた槍ヶ岳。池には槍穂が映り込み、シャッターポイントである。
双六(すごろく)岳からみた槍ヶ岳 なんとも宇宙的☆

山小屋は山を歩くものにとって憩いの場である。雨風を凌ぎ暖をとることができる。見知らぬ人との交流もまた楽しみのひとつ。歩いた山のあれこれを話し合うとなんとも言えぬ親近感が湧くものだ。小屋では翌早朝に旅立つため皆早くに眠りにつく。集団生活は苦手、枕が変わると眠れない、そんなわたしが山小屋でアルバイト。楽しいことばかりではない仕事だったし慣れない場所で体力的にもギリギリだった。自分でも不思議で仕方がないが、それが山の魅力のなせる技なのかもしれない。

いまは、ずっと遠征ができない状況が続いている。どこかへ行かなくても、会いたい人に会えなくても、いつでも自分が思えば繋がることができる。そういう心持で日々を過ごしたいと思う。

☆☆☆☆☆

さて、今回も長くなりました。地元の外の世界を知ると、地元のことが良くわかるように、山も四国外に出てみるとまたそれぞれの良さがあり、そして地元四国の山のすばらしさをより深く知ることができました。そんな四国の山もいまは完全に冬山。しばし、山の活動もお休みですが、地元の歩いた山のこともご紹介できればと思っています^^



読んでいただき、ありがとうございました(*^^*)

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てんたん

心は旅人。山のこと、東洋医学のことなど気ままに書いてみようと思います。